その5「油の匂いと機械の音に、負けました」

新人くん、大阪で人生の修行をするの巻 その5

「油の匂いと機械の音に、負けました」


入社して2年。ひと通り現場も経験し、テナントビルもひとつ担当し、新聞にも顔が出た。「おれ、けっこう不動産のことわかってきたんちゃう?」

――そう、完全に“鼻が育っていた”時期だった。


「土地の形状? 再開発? 資産価値? もう説明できますよ?」

なんなら「この街の未来は僕に任せてください!」くらいのテンションだった。

そんなボクに、次のミッションがやってきた。


「町工場エリアの土地買収」

大阪の下町、古くからの工場が連なる地域。小さな鉄工所やプレス工場、バイク部品屋さんがびっしり並ぶそのエリアを、マンションやオフィスに作り変えるというプロジェクトだった。

今思えば、この時点で「ちょっと調子に乗って失敗する若手の典型パターン」が始まっていた。

でも、当時のボクはそんな空気、1ミリも感じてなかった。


「ああ、はいはい。昔ながらの工場があるエリアってことですよね?“今どきの都市開発”で蘇らせるパターン、バッチリです。」

そう思っていた。そして、そのままのテンションで地主さんを訪ね歩く。

パワポで作った提案書片手に、「ここがこう生まれ変わるんです!」「新しい街はこうなって、利便性も良くなって…」「資産価値もグンと上がりますよ!」


――完全に“未来語りお兄さん”。


ところが、ある町工場の社長さんは、ボクの話をニコリともせずにこう言った。

「兄ちゃん、あのな。全然ええとも思わんで。この油の匂いがええんや。この“ガンガン”いう機械の音がええんや。ここで毎日働いとったらな、その音が“リズム”になって、匂いが“日常”になるんや。」


目が覚めた。

ボクは、未来を語れば誰もがワクワクしてくれると思ってた。

マンションとかオフィスとか、そういう“キレイな言葉”を並べれば、

「それ欲しい!」って言ってもらえると思ってた。

でも、彼にとっては、そのキレイな言葉のひとつひとつが、

「ここを壊しますよ」と聞こえていた。


再開発って、すごいことだと思ってた。

でも、そこに生きてる人たちの“温度”や“思い出”を、ボクはまったく考えていなかった。

結局、その土地は買えなかった。

でも、その夜、家に帰っても、工場の音が耳に残っていた。


「ガンッ、ガンッ、ガンッ――」

なんだかそれが、自分の未熟さを責められてるような音に聞こえた。