その6「完売マンションが引き渡せない!?最後に待ってた一番シビれる修行」

新人くん、大阪で人生の修行をするの巻 その6

「完売マンションが引き渡せない!?最後に待ってた一番シビれる修行」


大阪での最後の担当物件は、ファミリー向けの中規模マンションだった。

今までいろんなことがあったけど、今回ばかりは本当に順調。

販売も絶好調で、すでに全戸完売済み。後は建物を完成させて、引き渡すだけ――だった。


入社して2年が過ぎ、トラブルも数々経験した。

「もうそう簡単に動じるようなことはないな」なんて、心のどこかで思っていたのかもしれない。

現場も整っていた。検査前の社内チェックも完了。

「さあ、あとは役所の完了検査を通すだけか。よしよし。」


――完全に気を抜いていた。

検査当日、現場に来た担当官が、図面と現場をじっと見比べながら一言。

「……この状態では、検査済証は出せません。」

空気が止まった。

「えっ……どこが問題ですか?」「なにか見落としが?」

と聞き返すと、指摘されたのは“開放廊下”の幅。

建築基準法で定められた寸法に、わずかに届いていなかった。


「そんな馬鹿な……」と何度も現場を見直したけれど、

確認すればするほど、現場は“足りてない”という事実を突きつけてきた。


たった数センチ。けれど、その“たった”が命取りになるのが建築という仕事。

このままでは検査済証が発行されず、検査済証がないと、買主への融資が実行されない=引き渡しができない。


しかも、引き渡し予定日まであと数日。

現場と設計、施工、全員が青ざめる。図面と法令集を囲んで、言葉少なに確認を重ねる。修正案が出ては、「それでは間に合わない」「この工期では不可」と突き返される。


静かなパニック。

そのとき、設計担当のベテランがぽつりとつぶやいた。

「……ギリギリだけど、この案なら通るかもしれない。」

その声に、全員の目が向く。

彼が示したのは、建築の細部(手摺や仕上げ材の微調整)で寸法を確保する修正案。

絶妙な寸法バランスを再計算し、現場も即座に対応。

その日の深夜までかけて作業し、翌日の再検査に臨んだ。


結果、検査は無事に合格。

書類がそろい、融資も実行され、引き渡しの準備が完了。

そして引き渡し当日。ロビーに集まった家族たちが、にこやかに鍵を受け取り、

「今日からここが我が家だ」と笑い合う。

走り回る子どもたちの足音。「おかえり」と言いたくなるような玄関。

日常が始まろうとしている空間に、静かに灯りがともっていく。

あのときの寸法、法律、パニック、修正。全部が、この一瞬のためだったんだと思った。


こうして、怒涛の大阪修行編は終わりを迎えた。

思い返せば、新聞に顔を出して山奥に呼ばれ、

お菓子の袋に5000万円を詰め、

逃げられた支払いに夜のビルを見張り、

夢の家を50億円の赤字で描き、

町工場で油の匂いに泣かされ、

そして最後は寸法不足のマンションでヒヤリとしながらも笑顔に立ち会えた。


何度も心が折れかけたけれど、そのたびに“暮らし”と“人”に引き戻された。

この6つの修行を経て、気がつけば僕は、不動産の魅力にどっぷりと浸かっていた。


正解がない。想定通りにいかない。

でも誰かの人生に、確かに触れている。

そんなこの仕事に、気づけば夢中になっていた。


この大阪での数年間は、「一人の新人が、不動産という深い沼にゆっくり沈んでいく話」だったのかもしれない。

でも、それは沈んだのではなく、ハマったのだ。


そして――ここから、もっと深くて険しい“イバラの道”が待っていることを、僕はまだ知らなかった。(完)